--/--/-- (--) --:--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Trackback(-) comment(-) スポンサー広告
2015/03/10 (Tue) 06:27

八十きゅう


◆マタイ18:11

〔 人の子は、失われている者を救う為に来たのです。 〕

--------------------------


お金持ちの為でも美人の為でも成績の良い人の為でもなく、

弱く、世の中に盲目である私たちの為におられる主。

他の箇所に、「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」と

いう御言葉がありますが、この御言葉を受け取れるようにするには

まず自分が「失われていた者」であったことを認め、

自分は愛されている者だったんだと、「気づく」ことから始まるんですね。

そして、主が私を愛したように、私も隣人を愛せるようにするには…

何も特別な事はしなくていいのかもしれないと最近思った。

ディズニーの短編アニメに「楽しい復活祭」という

ウサギたちがイースターの準備をするお話があるのですが、

サングラスをかけた2匹の盲目のウサギが

手探りで材料に触れながらカゴを作っている場面があります。

しかし1匹のウサギは材料が手探りで見つからなかった時、

サングラスを外して、目で見て見つけ、作業を再開している。

この場面、私なりの解釈ですが、盲目である愛する者のために

相手に寄り添いペースを合わせてあげるんだなと思ったのと、

子どもから大人、障害を持っていても何でも神様の為に働く者に制限はないのだと

このアニメから教わった気がしました。

つい目に見える能力や、こなした量で比べてしまう私たち。

自分のものさしで物事を判断せず、今出来る自分の最善を尽くす中で

「互いに愛する」ために出来る必要を見いだしていけるのではないでしょうか。

今日も、手探りですが、本気で向き合おう。何事も。

スポンサーサイト
trackback*0 | comment*0 | 御言葉と目標
comment
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
trackback
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
profil
Recent Entries
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。