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2015/01/24 (Sat) 21:56

自己紹介してくれた神様。


神様を見失っても、私が神様に帰りたい。と願うと、

また見つけ出してくれる父なる神様を電車の中で体験した今週の出来事です。


今週は、仕事して帰ってきたらすぐ寝て…

祈りはありがとうと悔い改めで短く終わり、あっという間に気づいたら金曜日でした。

電車の中で「御心がなされますように…」と祈りを心の中で言っていた時に、

ふと(神様の御心ってなんだ。神様ってどんな方だったっけ)分からなくなりました。

この時の私の頭の中は仕事の事など、雑念が行き交う渋谷のスクランブル交差点のようでした。

神様がどんな方であるのか見失ってしまうと、御心に叶う為に動けません。

同時に、ゆだねる心、へりくだる心さえも蝕まれて、自分勝手に歩き出してしまってました。

(今の自分、やばいんじゃないかな。)

電車の中でしたので、心の中で聖霊様にお願いしました。

(聖霊様、助けて下さい。神様がどんな方だったのか、もう1度理解させて下さい)

すると、すぐに、「愛」という言葉が浮かびました。

(そうだ、愛なる神様だった。ふむふむ、それで?)

そのあと、愛である神様が、私を愛しておられる事、愛は『赦し』であること

ヨハネの3:16を思い起こさせて下さった事により、再確認しました。

ヨハネの3:16のあと、とんとんと最後にヨハネの4:1が流れてきました。

『あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい』

私の頭の中では雑念がパンクする位飛び交っていて、もはや聞き取れない雑音でした。

でも、神様は私を愛してくれて、あらゆる私の犯してきた罪を赦してくださったんだ。

と、思った時に、聞き取れなかった頭の中の雑念たちの正体が次々に分かったのです。

「あのこと」「そのこと」「あん時のこと」…etc

私が主にゆだねる程ではないと軽くみていた出来事や、

主の御名で赦そうと努力もせず放置していた出来事達でした。

小さな出来事が「ちりも積もれば山となる」原理で、溢れ出してたんです。

「主にゆだねる程でもない」物なんて無かった!全部神様にゆだねるべきだった!!

電車の中で撃沈してしばらく口をあんぐり開けてしまいました。(笑)

悔い改め、ゆだね、良いモノに変化される事、栄光帰せることを期待しますと、

私は重荷を下ろして職場に向かう事が出来たのでした。

…。

この経験から、神様は聞けば答えて下さる方だということ。

神様は私(たち)を愛しており、赦してくださる方であること。

どんな小さなことも大きなことも、ゆだねてよい方であること。

が、分かりました。

あと、悩んだり、神様を見失う経験は、必要な過程だという勇気も頂きました。

平和ボケでは自分が弱い者で、生かされている者であるって、

つい感謝を忘れてしまいますから。

不思議なもので、金曜の祈祷会でも、メッセージはそんな内容でした。

…生きてらっしゃいますよ、本当に。神様って。
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